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I AM A DOG

途方に暮れる 犬とよばれる でも生きてゆく

住宅地の中に残る昭和の廃線跡:府中市旧下河原線跡の「下河原緑道」を歩く

またしても地元府中の記事です。先日書いた寄稿記事にスペースの都合で(はたまたキャッチーでないため?w)載せることができなかったネタでもあるのですが、今回新たに写真や情報を集めて記事にしてみました。

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さて、府中市内にはこのように緑道・遊歩道が数多く整備されています。これらの緑道は、かつての用水路に沿って作られているものが多いようで、今も水路が残るものや、暗渠化されてしまったものなど様々です。

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一時期これらの緑道・遊歩道を、ジョギングコースとして全て制覇してやろうと走っていたのですが、そんな緑道の中にかつての廃線跡があることに気付きました。

昭和51年まで走っていた国鉄下河原線跡の「下河原緑道」

それが今回紹介する「下河原緑道」。かつて、下河原線という国鉄の路線があった廃線跡を整備した緑道です。

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下河原線は明治時代に多摩川の砂利を運ぶために作られた「東京砂利鉄道」が元となり、一時期閉鎖されましたが大正時代に軍用鉄道として復活。昭和になると東京競馬場への輸送路や東芝府中の通勤運転用途として、旅客運行されていた鉄道だそうです。
下河原線 - Wikipedia

下河原線の旅客線が走っていたのは、国分寺駅から東京競馬場前駅(現在の府中本町駅のやや南寄り)まで。1973年に武蔵野線が開通したことで旅客線は廃止となり、下河原までの貨物線も3年後の1976年に廃止されたそうです。

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下河原緑道のスタート地点は甲州街道沿いにある「下河原線広場公園」。駅のホームを模して作られた公園には、かつてのレールや枕木が各所に使われています。

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すぐ近くにはハローワーク府中。昨年の無職期間中には、こちらにお世話になりましたっけ(笑)(下河原線広場公園は、ハローワーク通いの際に見つけました)

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下河原緑道は甲州街道を挟んだ南側に伸びて行くのですが、反対の公園北側をしばらく進んで行くと何があるかというと… そう、現在の武蔵野線が府中本町駅からのトンネルを抜けた場所になるのです。この辺り、武蔵野線の北府中前後は下河原線を吸収する形で敷設されたようです。

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下河原緑道を旧東京競馬場前駅方面に向けて歩いてみる

それでは下河原緑道を旧東京競馬場前駅へ… つまり現在の府中本町駅方面に向かって、歩いてみることにします。廃線跡といっても寂れた山の中でなく、市の中心地にも近い住宅街の中。なんだかワクワクします。

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このように緑道沿いの植え込みや、ベンチにも古い枕木が使われています。

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道路にレールがが埋め込まれている場所なども。

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南武線を越える橋(みょうらいばし)は、緑道(遊歩道)と自動車用の道路が並行した形になっています。これも、かつての軌道の名残なのでしょうか?

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おっと、緑道に交差するこんな道がありました…。これ、どう見てもかつての水路ですね。暗渠になっていると思われる蓋も確認できます。この道に入って行きたくなる気持ちをぐっと堪えて、下河原緑道を進みます。

 

緑道はここで二手に分かれます。真っ直ぐ南へ延びる右手側が、元々の東京砂利鉄道や貨物線として運用されていた下河原駅方面の本線。左手側が旅客線であった、東京競馬場前駅へと向かう引き込み線です。

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この辺りが東京競馬場前駅のあった場所のようです。

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どことなく鉄道の島式ホームを思わせる緑道のレイアウトになっています。東京競馬場前駅は、競馬開催時の長い編成にも対応するよう長いホームの駅だったそうです。
東京競馬場前駅 - Wikipedia

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この正面は南武線が横切り、少し左手には府中本町の駅。高架を潜ったその先は府中街道、そして東京競馬場です。

かつて軌道があったことを知らせる、このような像などもあったりして。

 

(追記)東京競馬場西門前のおけら街道。府中街道の歩道の柵で塞がれてしまっているこちら側へ伸びる道は、東京競馬場前駅があった頃の名残なのですね。不思議な角度である道だと思っていましたがなるほど。

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さて、下河原線の本線(?)である下河原駅ですが、現在の「東京都立多摩職業能力開発センター府中校」辺りがその跡地だそうです。府中郷土の森博物館に沿ってたカーブが、かつての軌道跡を思わせますね。

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今回歩いたコースと下河原駅の場所などは以下の地図にてご確認ください。


府中市郷土の森博物館にて府中の近代鉄道史が展示中!

ちなみに現在、府中市郷土の森博物館にて、今回の記事とも関連のある(?)面白い特別展が開催されています。
特別展「京王電車がとおったころ~府中駅誕生100年記念~」|公益財団法人府中文化振興財団

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現在の京王線である京王電車が新宿から府中まで開通した経緯、そして府中〜東八王子間に開通した玉南鉄道との合併まで… 非常に興味深い展示でした。こちらの企画展については、また改めてブログで記事にするかもしれません。

今回の下河原線(東京砂利鉄道)に関しても、最初に府中にやって来た鉄道として紹介されていました。もっと下河原線の歴史も知りたかったのですが、この企画展はあくまで京王線中心の展示ということで…。

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あと、博物館の常設展に、府中市の鉄道路線の歴史を示す面白い展示があります。1916年は京王鉄道、東京砂利鉄道しか走っていなかった府中市ですが…

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1927年になると京砂利鉄道は廃止されている時期。ここで興味深いのが、武蔵境と是政を結ぶ西武多摩川線が開通していること。こちらも元々、多摩川の砂利を運ぶための「多摩鉄道」が元になっている路線なのだとか。
是政がそんなに古い駅だったとは、この展示を見るまで知りませんでした。

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1935年になると、東京砂利鉄道が下河原線として復活。南武線も運行が始まっています。現在は下河原線が、武蔵野線に置き換わった形ですね。政令市でもない府中市に、こうも多くの鉄道路線が集中しているのは、旅客需要の他に、元々砂利運搬を目的に敷設された路線があったことも大きいようです。

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以上、府中市内の廃線、旧下河原線跡について追いかけてみた記録でした。鉄道ファンではない私も、かなり楽しめました。

消えた鉄路 中央線東京競馬場支線通称下河原線

消えた鉄路 中央線東京競馬場支線通称下河原線

* *

さて、オマケですが、京王電車の施設計画の資料として展示されていた、昭和16年の府中市内の地図が非常に興味深かったのでご紹介。段丘の境目(ハケ)から下のエリアに、網の目のように水路が張り巡らされているのが確認できます。
こんなにも水路の豊富な街だったのですね。

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現在は埋め立てられて上水道や下水道に、又は暗渠化してしまったものが殆どですが、先ほど下河原緑道の途中を横切っていた暗渠も、しっかり水路として確認できます。これ、現在のGoogle Mapに透過で重ねてみたくなりますね(笑)

このような感じで、古代の古墳から近代の廃線跡まで、調べる程に私の住んでいる府中という街は興味が尽きません。今週末、23日から郷土の森博物館で開催される企画展は、なんと府中市西府の中世遺跡がテーマだそうで、これまた面白そうですね。
企画展 「発掘された中世遺跡―府中市西府の考古学―」|公益財団法人府中文化振興財団